京都にクリプトバーをオープンします

2023年あけましておめでとうございます。このたび、京都市内の某所地下に、クリプトのバーをオープンすることになりました。クリプトというのは「crypto」で、暗号資産、ブロックチェーン、web3系のことに興味がある人が集まるバー、ということです。

prtimes.jp


2017年にOND社を作ってからやってきたことの1つに、「UNKNOWN KYOTO」という施設の運営があります。ゲストハウスと、コワーキングと、レストランが同じ建物の中に入っている複合施設で、遠くから来てもらうと、「泊まれて、仕事ができて、食事もできる」という三拍子揃った、「とりあえずここに来れば外に出なくても一通りのことができる」施設になっています。

unknown.kyoto


これはコロナが始まる前から感じていたことなんですが、例えば京都から東京に出張に行くと、宿を予約して行くのですが、チェックインした後とかで、打ち合わせの間の時間に仕事ができる場所が無くて困る、ということがよくありました。それで、コンセントとwifiが使えるカフェを探したり、コワーキング施設を探したり、とやるわけですけど、これも結構面倒くさい。探すのに時間がかかるし、そこに行くのも時間がかかる。

それから、食事も、会食があれば良いんですけど、何日も滞在していると普通に晩御飯が食べたいだけ、という日も出てきて、そういう「普通のご飯」をサクッと食べられる場所を探すのも案外面倒くさい。

そんなわけで、「宿でそのままぱっと仕事ができて、さくっとご飯が食べられたら良いのにな」とずっと思っていたわけです。
そうしたら、ONDのもう一つの事業である「物件ファン」を運営するなかで、お付き合いが深まった2つの不動産会社、「八清」さんと「エンジョイワークス」さんとお話している間に、「京都に宿とコワーキングとレストランがくっついた複合施設を作りませんか」という話が出てきて、一緒にやることになった、というのが「UNKNOWN KYOTO」を始めたきっかけです。

ちょうどONDのオフィスを探していたので、結局そのUNKNOWN KYOTOの中に自分たちのオフィスを置くことにして、それなら、ということで、施設の運営もうちの会社でやっています。

そういう経緯で、今はUNKNOWNに毎日通いながら、施設の運営もやっています。
運営をやってみて思ったのは、いろんな人の出会いが自然に生まれるのがとても面白い、っていうことです。

普通のオフィスビルで仕事をしていると、予期せぬ出会いがあることはほぼ無いので、人に会いたかったら自分でアポを取って会いに行ったり、誰かにお願いして来てもらったりする必要があります。ところが、宿やコワーキングをやっていると、どんどん人がやってくる。誰がやってくるかは読めない。読めないけど、自分ではコントロールできないような予期せぬ出会いが次々に起こります。

「世の中にはこんな生き方をしている人がいるんだ」とか、「こういう職種の人に一度話を聞いてみたいと思っていた」とか、そんな出会いが日常的にあって、たくさん刺激をもらっています。お話をする間に仲良くなって、お食事にいったり、一緒に仕事をさせていただく方も出てきています。

日常的にとてもおもしろい方がたくさん出入りされていて、こんな貴重な出会いは、ぜひ他の人にも体験していただきたい、と思い、僕がゲストの方のお話を聴きまくるというポッドキャストもはじめました。「近藤淳也のアンノウンラジオ」と言います。

podcasts.apple.com

open.spotify.com

毎回違うゲストの方に来ていただいて、これまで何をしてきたのか、その仕事は何が面白いのか、今何に熱中しているのか、などなど、とにかく聴きまくっています(笑)。基本的には時間制限を設けずに、徹底的に聴くことを優先しているので、ちょっと時間は長いんですが、その分、軽いインタビュー記事とかでは掘り下げられないような内容に踏み込めていると思います。こちらも面白いのでご興味のある方は聴いてみてください。

どんどん話が逸れてしまいますが、ついでにUNKNOWNのことをもう少し話しますと、開業後にコロナが始まって、一気にリモートワークが広まりました。東京の会社に勤めている人でも「別に東京に居なくても仕事ができるから、しばらく京都に滞在して仕事をしてみよう」という人がたくさん出てくるようになりました。

もともとコロナを予見していたわけでも、リモートワークが増えると見込んでいた訳でもないんですが、世の中的に一気にリモートワークが一般化し、ワーケーションも広がる中で、UNKNOWNのコンセプトである「泊まれて、仕事ができて、食事もできる」という三拍子揃った施設の使い勝手がとても良い、という事になって、おかげさまでたくさんの方が、滞在しに来てくれています。

おすすめは、1,2泊だけの短期滞在よりは、やっぱり3,4日とか、1,2週間とか、なんなら1,2ヶ月とか、中長期の滞在をしてもらう方が、「1箇所に全部入っている」メリットを感じやすいのでおすすめです。実際にそういう滞在をされた方の方が満足度も高いです。

僕との関係性だけじゃなく、滞在中に仲良くなった方同士が友だちになって定期的に会うようになったり、中には結婚した方々もいらっしゃって、滞在者どうしの出会いの場にもなっています。

もともとITの専門だった自分たちが、よりによって全く専門外の宿泊施設の運営をやる、という無謀な挑戦を始めたわけですけど、最近は東京のIT系の企業の方が、開発合宿をしに来られたりとか、そういう活用も始まっていて、ここに来て自分たちだから提供できる体験もあるのかな、と感じ始めています。

とても前置きが長くなりましたけれど、というわけで、この何年か、京都市内で宿泊施設の運営をやりながら、たくさんの方と出会い、交流をさせていただいています。

今回は、そういう出会いから生まれたチームのメンバーと、また「新しい施設を作ってみよう」という話が進んで実現しました。

web3は昨年くらいから興味を持ち始めて、仮想通貨を買い増したりとか(損ばかりしていますがw)、STEPNで遊んだり(こちらも損ばかりしていますw)、身近な人とNFTコレクションを作ってリリースしてみたり(こちらはなかなか売れなくて苦労していますw)と、自分でもプレイヤーとして少し遊んでいますが、感想としては、まだまだ普及はこれからだな、と感じています。それは、逆に言うと、まだまだいろんな機会が埋もれている、これから新しいものが広がっていく可能性がある、ということで、どんな未来がこれから来るのか、何を作ったら面白いのか、いろんな方とお話しながら考えていけたらと思っています。

バーの名前は「KRYPTO」と言いまして、Cryptoと、Kyotoをかけて、頭文字がKになっています。
UNKNOWNなどを通じて知り合った、web3事業に複数関わっている宮原さん、NFTクリエイターのHAKUさん、awabar店長の荒川さん、八清の落海さん、ビットコイナー飯田さんたちとともに、web3について語り合えるバーを作ります。
NFTの会員証を購入した人と、同伴者だけが入店でき、決済はすべて仮想通貨です。場所も秘密で、会員さんだけに明かされます。
バーの店舗の改装はこれからで、一部DIYもしますので、会員さんと一緒に店舗も作っていけたらと思っています。
関西にはあまりこういう常設のweb3系の場所がないので、新しいことが好きな方々と、面白い話ができたらと思っています。
すでに販売中の会員証50枚のうち、30枚くらい売れていて、残りは半分を切ってしまっていますが、ご興味のある方は購入してみてください。

opensea.io

生きている実感を増やすために その2

「家」って、生活の中でかなり長い時間を過ごしています。寝ている時間が7時間だとして、その前後、僕だったら19時くらいには家に帰ってきて、ごはんを食べて、23時くらいに寝ると4時間くらい。朝は7時くらいに起きて、9時くらいに出勤するとして2時間くらい。

そうすると、平日で合計13時間。これが休日だともう少し長くなるし、最近はコロナで在宅も増えているので、一日中家にいる、という人も多いかも知れません。

そうすると、短くても生活の半分以上、長い時はもっと「家」にいるわけです。

この「家」は、もっと面白くできるんじゃないのかな、と思い始めたのが、「物件ファン」を始めたきっかけです。

インターネットは人生を豊かにしたか

インターネットの仕事をしていたのに、急に不動産の仕事を始めるなんて、どうしたんですか?と、たまに聞かれるんですが、自分の中ではそれほど変わったとは思っていないんです。

ちょっと大きな話になってしまいますけど、僕は「人の生活を豊かにしたい」と思っています。

はてなのミッションページにも、

「知る」「つながる」「表現する」で新しい体験を提供し、人の生活を豊かにする

と書いてあります。これは以前に、自分も関わって決めた、はてな社のミッションです。

ミッションなんてまあ、きれい事を並べて、この会社は世の中のために良いことをやっているんだ、という姿勢を見せるような側面もあるかも知れませんが、いや、そんなことじゃなくて、本当に僕は、「人の生活を豊かにしたい」と思ってるんです。本当に。

だって、前回も書きましたけど、仕事をするって、自分のためだけにやるのは結構つまらないと思うんです。俺ってすごいだろう、とひけらかしたり、お金を儲けて自慢したり、というのでは、どこか虚しい。

じゃあどういう時に一番「仕事をやって良かったな」と思えるかといえば、それは「人が喜んでくれる」時だと思うんです。

「良い製品を作ってくれてありがとう」とか、「あなた達のおかげでこんなに嬉しいことがありました」と、人が喜んでくれる時に、一番喜びを感じます。

人が喜んでくれるってどういう時かといえば、一瞬笑わせて喜んでもらうような、そういう喜ばせ方もあると思うんですけど、僕は芸人さんでもなければ口が達者なわけでもないし、そういうことは到底できない。

じゃあどういう風になら喜んでもらえるかというと、じんわりじんわりと時間をかけて、生活の質が少し変化するようなものを作って、その結果として、一瞬ではなくて、もっと長期的に、生活の質が変わるような、長期戦なら、自分でもできると思ったわけです。持久走みたいに、少しずつ根気強く進み続けて、ふと気づくといつの間にか随分遠くまで来たぞ、というように、いつの間にか世の中が変わっているような、そういう変化です。

なんなら、一度それを使い始めたら、もう後には戻れなくなって、それ無しでは生活できない、というくらいの、不可逆な変化が起こせるようなものを作れたら、その成果は長い間残っていきます。そうすると、「実はあれを作ったのは僕たちなんだよ」と、後でちょっとくらい自慢できるかな、というくらいの、個人的な喜びを期待している部分はありますが、僕の仕事のモチベーションというのは、大体そういう感じです。あとでちょっと、「にやっ」とできたら良いな、みたいな。

はてなを始めた頃というのは、インターネットが明らかに、これからどんどんと人の生活の質を変えていくだろう、という確信があった。これまでできなかったことができるようになり、新しい仕組みを毎日使って、人の生活が変わっていくだろうと思いました。

いろいろな変化が起こるだろうけど、その中でも特に僕が関心があったのは、人と人がつながる部分です。

昔の日本って、放っておいても、人と人が今よりつながっていたと思うんです。うちの田舎でも、こどもの頃は勝手に人が玄関を開けて入ってきたり、お葬式も自宅の広間でやっていて、地域の人がわらわらと集まってきたり、という名残りが残っていました。昭和のある時期までは、全国そういう感じだったんじゃないかと思いますし、さらに昔はもっと人同士の生身の交流が多かったと思うんです。

まあもちろん、良いことばかりじゃなくて、煩わしい側面もあったと思いますけど、良い面も悪い面も含めて、プラスもマイナスも含めて、人と人がつながっていたと思うんです。

それが、高度経済成長時代を経て、都市化が進み、個人主義的な考え方が広がり、どんどん家や街が効率化されていく中で、人が孤立していった。

僕は大学入学の時に、京都ではじめて下宿をしたんですけど、その時に不動産屋さんの勧めるままに、ワンルームマンションを借りました。最初は新しくてきれいな部屋だな、とうれしかったんですが、すぐにその寂しさに気づいた。大学生の下宿ともなれば、きっと他の学生とのつながりが生まれて、楽しいに違いない、と思っていたんですが、ワンルームマンションでは、隣りに誰が住んでいるのかもよく分からない。せいぜい廊下で会った時に、名前も知らない人と「こんにちは」と挨拶を交わす程度。これが本当にみんなやりたいことなのか、と強く疑問に思いました。

学生だけじゃなくて、日本の都市の家といえば、マンションとか一軒家とか、プライバシーが守られている家が良いとされているけど、本当に、本当にみんなこれが一番良いと思って住んでいるのかな、と疑問に思いました。

そんな時に出会ったのがインターネットです。パソコンから誰とでもつながることができる。そんなの今考えたら当たり前じゃないか、と思うかもしれませんが、1990年代以前というのは、せいぜい電話があるくらいで、人と話そうと思っても、不特定多数の人と話すような仕組みはなかったんです。(今改めて考えると、にわかには信じがたい話ですけど、これは本当の話です。笑)

それでインターネットに夢中になり、いつの間にかそれを仕事にしていました。

はてなで、ブログを作ったり(今書いてるこれですね)、ブックマークを作ったりと、新しい仕組みを考えて作りましたが、その時は、本当にそうした新しい仕組みが、人の生活を豊かにしていく実感があった。それまでつながることができなかった人と、つながることができる。

自分の考えを書いたり、そんなたいそうなことじゃなくても、日記みたいな普段の些細なことでも良いから、ブラウザからちょこちょこ書くだけで、知らない人が読んでくれたり、興味を持ってコメントをくれたりする。それまで、不特定多数の人とつながる仕組みが無かったことを考えれば、そんな体験が、革命のように思えました。

これぞまさしく、「一度使い始めたらもう後には戻れない不可逆な変化だ」と思いました。

インターネットの外の、リアルな社会でも充実した人間関係を構築できている人にとっては、便利なツールが一つ増えた、くらいの変化だったかもしれませんが、リアルな社会では人付き合いが苦手な人(僕もその一人ですが)にとっては、ネットはまさに福音と言えるものだったと思います。人との関係がなかなかうまく築けなかったり、勉強や仕事や家事をしているだけでは、なかなか豊かな人間関係が作れなかった人にとって、インターネットこそが、人とつながる拠り所になった人も多いと思います。

15年くらいそうやって、インターネット上で新しい仕組みを考えては作る仕事をしていました。ちょうどこの時期に生んでもらえて、幸運だったと思います。だって、同じ時期に生まれて、自分がどういう仕事をするかを選ぶことはできますけど、たとえばインターネットが無い時代や、すっかり広まった後に生まれていたら、どれだけ新しい仕組みを作ろうと思っても、難しかったと思います。

ですけども、15年くらいやっていると、かなりいろんなサービスが揃ってきました。ブログもそうだし、SNSとか、動画サービスとか、ネット上で人とつながろうと思えば、あらゆる方法でつながることはできるし、何か面白いものを見たいと思えば、いつだって見られるようになりました。

インターネットは、人の生活を豊かにしたと思います。もう、これなしでは生きられないでしょう。

けれど、ここから、今この瞬間から未来に向けて、新たに変化が起きる部分はどこなのかというと、ちょっと目を外に向けた方が面白いと感じ始めました。

インターネットはこれからも相変わらず、生活の中の大きなパートを担うでしょうし、それはとても重要なパートなんですが、随分いろいろなものが既に揃ってきていて、やりたいことはできるようになっている。

むしろ、インターネットの外に目を向けた方が、いろいろと古いままの仕組みがそのままになっていて、変化が必要なんじゃないか。ここから新しいものを作って、変化を起こせるのは、インターネットの外の世界なんじゃないか、と感じ始めました。

家の話をしようと思っていたのに、少し横道にそれてインターネットの話をし始めたら、すっかり長くなってしまいました。ここのところは、ついつい熱くなっちゃいますね。笑

次回に続きます。

生きている実感を増やすために

久しぶりです。いつの間にか結構間が開いてしまいましたが、この3年半近くONDで事業をやっているうちに、少しずつ形ができてきました。同時に3つくらい事業をやっていて、それぞれが結構ばらばらのことをやっているようにも見える。でも自分の中では、テーマがあると思っている。今日はそのことを書こうと思います。

ONDの事業

もともと「物件ファン」という不動産メディアをはてなから引き継ぐところからOND社は始まりました。その後トレイルランナー(要するに山を走る人です)向けのサービス「IBUKI」を始め、さらに京都市内で「UNKNOWN KYOTO」という宿とコワーキングとレストランの複合施設の運営をしています。

不動産メディアとトレランと施設運営。確かに脈絡もなく、ただ思いついたことをやっているような印象を受けますが、自分の中ではなにかしら、「これからはこっちの方向が面白いだろう」という気持ちがあるわけです。

そうでなければ、「未来がより面白くなる」という希望も持てないし、毎日毎日熱心に仕事を続けることもできません。僕は、どうせ仕事をするなら、今よりも未来が面白くなることに取り組みたいと考えています。そういう目算が無ければ仕事に打ち込むことができません。

それじゃあ、「こっちの方向」てなんだ。どっちの方向だよ、ということを、あまり言語化して来なかったのですが、それを今言葉にするなら、「生きている実感を増やしたい」ということだと思います。

生きている実感?

生きている実感、ってなんでしょう。生きているな、って、どういう時に感じますか?

別に、どんな時も、死んでいなければ生きているわけですが、それでもやっぱり、「ああ、生きているな」って感じる時ってありますよね。

たとえば、自分のこれまでの人生を振り返った時に、「一番うれしかった時はいつですか?」とか、「一番大変だった時ってどんな時でした?」とか。そういう質問、よくあります。そういう質問がよく出るのは、それが人生のハイライト、人生を象徴するような時間だからだと思います。

人生全部だとちょっと長すぎて、考えるのが難しかったら、「去年一番楽しかったことってなんですか?」とか、「今週一番うれしかったことって何ですか?」でも良いです。

実際どうですか?なにか思いつきますか?

僕はどうでしょう。この1週間だったら、友だちと山にハイキングに行って、その後温泉に入って、お酒を飲みながら話したのが楽しかったです。仕事で外部の方に新しい取り組みについての提案をしたら、前向きに検討してもらえることになったのもうれしかったです。

「ああ、生きているな」と感じるのって、こういう時間じゃないでしょうか。

人と接しておしゃべりするとか、ちょっとしんどいけど山に登ってみるとか、新しい企画を考えてドキドキしながら提案するとか。

そういう時間に共通するものってなんでしょうか。共通点を見つけるのがちょっと難しかったら、逆に「少なくともこういう時間ではない」ということは、割と簡単に思い当たります。

それは、少なくとも自分が「つまらない」と思っているような時間ではないはずです。「つまらない」って何かというと、僕の場合だったら、いつもと変わらないような面白くないことを惰性で続けている時とか、中身のない話をだらだらと聞かされている時とか、何の目的もなくだらだら過ごしている時だとか、そういう時間です。

じゃあ「生きている実感を感じる」時間というのはどういう時かといえば、「つまらなくない」ってことで、「つまらなくない」というのは、例えば楽しい人と一緒に時間を過ごしたり、難しいことに挑戦していたり、何かを達成したり、逆にうまく行かなくて落ち込んでいたり、と、そういう時間です。

ひとことで言ったら、「ひっかかり」がある時間だと思うんです。のぺーっとして、平坦な、何のひっかかりも無いような時間ではなく、なにか「ひっかかり」がある時間。

簡単にはうまく通り過ぎられないような難しさだとか、ついつい目を向けてしまうような美しさだとか、平常心では居られないほど楽しいだとか。良いことだけじゃなくて、涙が出るほど悲しかったり、悔しかったり、落ち込んだり、そういうマイナスのことも「ひっかかり」だと思います。プラスのこともマイナスのことも含めて「ひっかかり」がある時間は、つまらなくない。

逆に言えば、何も考えなくてもやり過ごせるような、簡単な時間には「ひっかかり」が無い。「ひっかかり」がない時間を過ごしていると、生きている実感を感じにくいと思うんです。

目をつぶっていても進めるような道じゃなくて、注意が必要だったり、平常心では居られないような抵抗がある道を進む時に、生きている実感を感じます。

「簡単に生きられる」ような時間には、あまり生きている実感を感じられないとすれば、生きる実感を得るためには「簡単ではない時間」を増やせば良い、「ひっかかり」を増やせば良い、ということになります。

そのことについて、もう少し詳しく書きたいと思いますが、長くなってきたので、今日は一旦ここまでにします。また今度、続きを書きます。